被災地−闇とその中の光

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こんにちは!
女性性が花ひらく香りのコンサルタント
Devaユカこと、島田侑佳です。

今回、鳥居祐一先生主催、震災復興支援『三陸気仙沼大人の修学旅行』に参加しました。

ウニやフカヒレなど美味しいものも頂けるけど、2日間をかけて東日本大震災の被災地を巡る旅程。8年前のあの日から被災地に思いを馳せるも、自らの意思では自分の足が向かわなかった地へ行くことは、エネルギーに敏感な私としては少々不安がありました。しかし、旅が終わって、やはり行く必要があったんだと確信しました。

私の友人に、まさに陸前高田で急死に一生を得た人がいます。家族全員で車に乗り、避難の途中、津波が襲ってきて、電信柱が次々に倒れていくのがバックミラーに移り、車を乗り捨てて走って逃げたそうです。

今回の旅では、被災地を訪れるだけでなく、実際に被災した人たちからお話を聞くことも含まれています。そこにあったのは、8年経った今もやりきれない思いと、しかし、絶望から生まれた希望も知ることができました。

大川小学校の真実。完全な人災だった・・・救えたはずの命

当時、連日報道された大川小学校。生徒78名、教職員11名のうち、生徒74名、教職員10名が犠牲になりました。そのほかの被災した学校は迅速な避難によって、誰一人犠牲者を出していないそうです。なぜ、大川小学校だけがこんなことになったのでしょうか。

今回、当時小学6年生だった息子さんを亡くされた佐藤和隆さんが、私たちを小学校に案内してくださり、色々とお話をしてくださいました。

下の写真、白黒ではありません!!

空白の50分間

津波が襲った時刻と思われる止まった時計ー地震発生から約50分ある。

地震が起きたのが、14時46分。それから大川小学校に津波が襲ったとされる時刻が15時37分。この50分の間に、なぜ裏山に逃げなかったのか。大川小学校では、一度も津波を想定した避難訓練が行われてなかったそうです。私たちは実際に、隣接する裏山に行きました。傾斜もたった9度。浸水したとされる地点を越えるのに、小学生の足でも、校庭から5分もかかりません。しかも、裏山ではしいたけ栽培の体験学習をしていて、子供達はよく訪れていた場所だったのです。

それだけではありません。15時前後には、ここまで津波がくる可能性があるという情報はすでにあったのです。大津波警報が高台への避難を呼びかけ、迎えにきた保護者も、高台に逃げるように進言していました。犠牲になった子供の中にも、裏山に逃げることを提案した子がいたことが、のちに助かった子供からの証言で明らかになっています。

責任逃れと隠蔽

11人の教職員のうち、一人だけ助かった人がいます。しかし、彼は津波から生還したのではなく、職場放棄し、子供たちを置いて一人逃げたらしいのです。彼はすべてを知っているはずですが、「木が倒れ裏山への避難はできなかった」と嘘の証言をし、(実際には木は倒れていない)それ以降、何も語っていません。

教育委員会の説明には矛盾も多く、報告書は二転三転し、文科省が立ち上げた第三者委員会も、第三者とは程遠い、行政の息のかかったメンバーで構成され、都合の悪い証言や証拠は、隠蔽され、うやむやにされていきました。

佐藤さんをはじめとする遺族は、この8年間、真実の究明と責任の所在を明らかにするために闘っておられます。現在、最高裁の判決を待っている状態だそうです。

そして、大川小学校のような悲劇が二度と起きぬよう、こうして語り部として活動されています。今回は、遺族が同行の場合のみ入れる、小学校内部にまで私たちを案内してくれました。

コンクリートから剥がれた床
津波によって押し上げられた2階床
ぐちゃぐちゃだった校内は自衛隊員によってできる限り整理された。それは本来の職務にはない行動だった。
傾斜のある天井。浸水跡がはっきりとわかる。
見晴らしの良い景色だが、実際は・・・
人々が息づく住宅街だった
津波は瓦礫を巻き込み、その破壊力を増す

佐藤さんが、「息子が生きていれば二十歳でした」とポツリと仰り、何とも言えない気持ちになりました。大切なお子さんを亡くしただけでなく、学校や行政からも何の謝罪もない。助かるはずだった命を失った遺族の方々の心情を思うと、本当に胸が張り裂けそうです。

最後まで避難を呼びかけた災害庁舎職員

移動中、南三陸町の防災庁舎もバスから見えました。最後まで避難を呼び掛けた遠藤未希さんのお話は、現在、道徳の教科書に掲載されているそうです。

伝承館

2019年3月10日にオープンしたばかり
公式HP

こちらは、旧気仙沼向洋高校に併設するようなかたちで作られました。あの日の震災の映像を見た後、被災した校舎を見学しました。

ここは3階。津波の高さが相当のものだったことがわかる
見えている車の下には、さらに二台の車が
屋根は津波で流された↓
津波によって流されてきた冷凍工場が激突した痕

大切な入試の答案を手に屋上に逃げた教職員たちは、死を覚悟したでしょう。4Fまで津波が押し寄せたことが伺えます。この学校では、誰一人犠牲者は出ていません。

館長さんからお話を聞く

伝承館の館長、佐藤克美さんは震災当時、市の職員として多くの遺体捜索に携わったそうです。ガムテープに発見者である自分の名前と電話番号を書き、それをご遺体の腕に貼るのだそうです。そうすることで遺族は、どこでどのような状態で遺体が見つかったのかを知ることができました。

いちばん嬉しかった支援は・・・と聞くと、それは『人』だそうです。3年で瓦礫の撤去をしなければならず、しかも、きちんと分別しなけらばならなかったそうで、瓦礫撤去のノウハウを持っている阪神・淡路大震災を経験した方達や、ボランティアの人たちとの交流は今も続いているそうです。

佐藤さんは、最後の最後に、「自分は視える人間なんです。」と私たちにカミングアウトされ、亡くなった方が目の前に現れて、名前を名乗り、「ここにいるから迎えにきて」と・・・。実際に現場に行くと確かにご遺体を見つけることができたことを話してくれました。

重苦しい話ばかりではない

二日目に訪れた阿部長商店の大船渡食品工場は、津波により壊滅的なダメージを受けたました。

震災発生一週間後、従業員53名が全員無事であることが確認されましたが、家族を亡くした従業員、家を流された従業員などが10余名いらっしゃいました。

明日をも知れない状況の中、社長が放った一言。
「従業員は誰も解雇しない。継続して雇用することを約束する。」

建物は壊れれば修復することは簡単だが、人と人との絆・信頼関係は、一度壊れると、修復するのは困難。家族も家も失って、心の拠り所となる場所を確保しなければ。という社長の英断でした。

社員たち一丸となって工場の再建に尽力し、9月下旬には本格的に事業再開されました。

工場見学もしました!
魚が蒸し焼きにされた美味しい匂いが・・・

今では新商品も加わり、従業員数も53名→87名に増えたそうです!

奇跡の醤油−八木澤商店

メディアでも取り上げられた、奇跡の醤油、八木澤商店にもお邪魔し、社長からお話を聞くことができました。

そこでは、メディアでは語られていない、地元金融機関の全面支援、事業を営む経営者たちの横の繋がりなど、胸の熱くなるマンパワーのお話を聞きました。

津波で流された醤油づくりの命とも言える“もろみ”が、奇跡的に見つかり、そこから2年の歳月をかけ、伝統の味が復活!そこには幾多の困難がありました。

その奇跡はコチラで視聴できます。(CMは早送りできます)
ここでも、社長の「従業員の生活を守る!」という想いに触れました。

今では、フランスにも輸出!8年経ち、順調に事業を展開されています!

陸前高田の現在

奇跡の一本松

陸前高田は岩手県最大の2千人の犠牲者が出た場所です。

在りし日の陸前高田市
何もかもが跡形もなく消え去った

8年経った今でも、完全な復興には程遠い状態


かつての道の駅
震災遺構として保存されることになっている建物

犠牲者の中には、一旦避難したものの、貴重品を取りに帰ったり、家族の安否が気になって戻ったりして亡くなった人も多かったと語り部の佐々木武雄さんが教えてくれました。さらに、海から近い人たちよりも、海から離れたところに住んでいた人たちが多く亡くなりました。海が見えないので、まさかここまで津波は来ないだろうという心理が働いたのです。

大昔の人たちはなんども津波の被害に遭い、不便であっても海から離れた高台に暮らしていました。伝承は廃れ、自然への畏怖の念も忘れてしまった私たちは、利便性だけを追い求めた結果、被害は甚大になってしまいました。どんなに技術が発展しても、私たち人間は自然の脅威にかなうはずもありません。

旧気仙中学校

当初決められていた避難場所も危険と判断し、そこからより高い場所へ避難した結果、誰一人犠牲者が出なかった気仙中学校。指定避難場所が安全とは限らない。柔軟な対応ができたことが幸いした例です。当時の校長は女性だったそう。

被災地を巡って感じたこと

8年という時が経ったけれど、復興には程遠いと感じました。実際に被災していない私たちは特にその記憶が薄れがちですが、現地の人たちは、今もその痛みと共に生きていらっしゃいます。そして日頃からも「人と人との絆」が大切なんだと感じました。被災者の人たちの想いに寄り添い、自分に何ができるのか、そして、自分の人生にとって何が大切で、どう生きるかを考えさせられました。

また、陸前高田の語り部、佐々木さんが、とにかく“備えあれば憂いなし”、食べ物よりも『水』を確保することの重要性を教えてくれました。そして、常日頃から、有事の際、どう行動するか、家族と話し合っておくことが大切だとおっしゃっていました。

私たちも、いつ、どこで被災するかわかりません。私の家は高台にあり津波の心配はありませんが、もし外出先だったら?家族とはどうやって落ち合う?集合場所は?など、何も考えてませんでした。しまい込んだ地域の防災マップを引っ張り出しました。

今回、こうして実際に被害に遭われた方々のお話を聞くことができ、メディアを通じて見ていたものを、実際に自分の目で見ることができて、本当に良い経験になりました。

そして、報道されていることが真実とは限らない。噂も然り。帰宅後、大川小学校について検索しましたが、いろいろな情報が出てきました。どんなことに関しても、情報を鵜呑みにするのではなく、自分の心眼で見極めることが大切だと感じました。


この旅の美味しいもの編は次回のブログに!

そして、宇宙人ミッション編も!


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