歴史上の人物の過去生を持つ人々が現代で巡り逢う奇跡に立ち会った時の話

これは2016年に私が立ち会った奇跡の出逢いについてのレポートです。
以前アメブロに掲載しましたが、こちらのブログの読者さまにもシェアしたくて再掲載することにしました!

時空を超えて、運命に翻弄された女性たちの出逢い

茶々の過去生を持つAさん

茶々

友人(Aさん)に、豊臣秀吉の側室だった茶々(淀殿)さんの過去生を持っている人がいます。

私はAさんから直接この話を聞き、彼女が過去生退行催眠中視た豪華絢爛なお城や艶やかな着物、彼女を通して見た秀吉や、子種のない秀吉の子をどうやって身ごもったのか(これには秀吉公認の秘密の儀式が執り行われたそうです)、

千利休や石田三成との関係など、史実では語られていないことや、その当時の彼女の想い、

その直後、彼女が導かれるように行った京都の大徳寺での瞑想中、その当時関わりがあった男性たちが現れた話も聞いて、興奮したのを覚えています。

それから約一年、Aさんが私のワークショップに来てくれました。

駅から、まっすぐ太い雲が私のマンションの上空を通っていたそうです。それは導きの合図だったのでしょうか・・・・

この時、Aさん以外にも、Bさん、Cさんのお二人がワークショップに来ていました。

もちろん、この3人は初対面でしたが、私は唯一3人と面識がありました。

BさんもCさんも、とてもスピリチュアルな方なので、私は自分が興奮した、あの「茶々の過去生」をどうしても二人にも聞いてほしくて、Aさんにお願いしました。

すると、Bさんが突然とっても真剣な様子で、
「私、今日この話を聞くためにここに来たんだと思います。」と言ったのです。

Bさんはとてもスピリチュアルな方ですが、とても謙虚な方でもありました。そういった類の話に、わき目もふらず食いつくような私とは違い、一歩も二歩も引いた視点を持っている方でもありました。

そんなBさんが、身を乗り出して、
「それで、どうなったのですか?続きは?」
と何度となく中断する茶々の過去生に話を戻すのです。

そして、
「私、親戚だったかもしれません・・・・」とポツリとつぶやいたのでした。

浅井三姉妹

私のように、歴史に疎い方のために、ちょっと補足。

お市の方
お市の方

茶々さんは、浅井三姉妹(茶々、お初、お江)の長女として生まれています。お母さまはお市の方(上の肖像画)と呼ばれる織田信長の妹にあたり、戦国一の美女とも賞された方です。

お市の方は浅井長政に嫁ぐも、信長との対立により浅井家は滅亡、

そのあと、柴田勝家と再婚するも、
勝家は羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ、お市の方はこの時夫と共に自害。

茶々は、母を死に追いやった秀吉に側室として嫁ぎました。

そして、茶々の妹に当たるお江は、最終的に徳川秀忠に嫁ぎ、

茶々は、妹の嫁ぎ先である、徳川家に追い詰められ、
大阪夏の陣で自害しました。

さて、Bさんがつぶやいた、

「親戚だったかもしれません・・・」の続きです。

「????」

私を含め全員意味不明でした。

徳川和子の過去生を持つBさん

詳しく精査したところ、Bさんの過去生が徳川和子(お江の娘、茶々の姪にあたる)であることが判明しました!

Bさんが自分の過去生を知った経緯も大変興味深いのでご紹介します。

Bさんの娘さんが幼い頃、いるはずのない人が見えるので、いろんな方々のところに相談に行ったそうです。

あるとき、Bさん自身もお浄めを受けていると、自分の口から、自分に憑依している未浄化霊が語りだしたのでした。

その未浄化霊によると、自分は彼女(Bさん)を恨んでいる。彼女が嫁いできたせいで、自分は追いやられた。

武家出身のくせに、公家に嫁いでくるなんてとんでもない。許せないからずっとこうして憑いてきた―。

というような内容の事を、流暢な京言葉で語ったのでした。

それを聞いていたBさんは、自分自身の口から、あまりにも流暢な京言葉が発せられた驚きと、その内容に興味を持って、調べてみたそうです。

そして、行きついたのが、後水尾天皇に嫁いだ徳川和子(まさこ)だったのです。

何よりも、その事実に確信を持った理由が、子供のころによく描いていた、オレンジの着物に、緑の着物を着た女性の肖像画でした。

徳川和子

AさんとBさんは、過去生で伯母と姪の関係だった!!

茶々の過去生を語るAさんに、「本当に大変でしたね・・・・」

と心底同情するBさん。

Cさんも、「なんだか胸がザワザワする!」とおっしゃってました。私だけ、ただただワクワクして、興奮気味(汗)

AさんとBさんは、過去生でご親戚だったわけです!

その当時、二人が直接顔を合わせることはなかったと思いますが、Bさんはお江さんから、茶々さんについて話を聞いていたのかもしれません。

浅井三姉妹は、大変仲が良かったと言われています。

その証拠に、父・長政を弔うために茶々が秀吉に頼んで建立した養源院が火災で焼失した後、お江が再建しています。

ここに伝わるお江の肖像画は、東福門院(徳川和子)が描かせたものだそうです。

お江

そして、崇源院(お江)のお墓には、4文字の梵字が刻まれ、それぞれ、「浅井家」、「豊臣家」、「徳川家」、「御所」を表しているそうです。

現代で出逢った二人は・・・

A(茶々)さんと、B(徳川和子)さんは、ワークショップ後、一緒に帰られました。

Aさんが翌日私にメールをくれて、Bさんに「今幸せですか?」と聞かれたこと、それに対して「はい。」と答えると、心底安心した様子で、二人は連絡先も交換せず別れたそうです。

期せずして、この二人のお姫様を繋ぐ役目が私にあったわけですが、

大田区の、普通のマンションの一室で起こった奇跡の出逢い、(世が世なら、お城や御所で行われるはずの対面ですので)

なんだか不思議な気分です。

でも、もしかしたら、これは奇跡でもなんでもなく、私たちが日常に繰り返してる出逢いすべてに言えることなのかもしれません。

たまたま、彼女たちの過去生が、歴史上有名な人物であっただけで、ご縁がある方は、みんな、どこかで繋がっているに違いありません。

親戚、親兄弟、親友、子弟、恩師、恋人、夫婦 etc……

今は赤の他人でも、遠い過去生のどこかで、とても強いつながりがあったのかもしれません。

そう思うと、みんなが魂の兄弟姉妹なのですよね!

そして、今回の事で私が強く実感したのは、AさんもBさんも、今生に影響している過去生の断片を持ち合わせているということ。

雰囲気やたたずまい、物腰、周囲に与える印象、それは生まれてから身に着けたものではない、独特な、その人のエネルギーとでもいいましょうか・・・・。

お二人に実際に会われるとわかるのですが、「なるほどね~、茶々さんね、徳川和子さんね」って感じなんですよ~

そして、当時、女性は男性の所有物でしかなく、自分の意志とは無関係に嫁ぎ先を決められ、従うしかなかったわけです。そんな中でも、なんとか自分の運命を切り開こうとした彼女たち。

史実に残る茶々さんは、奔放で、悪女の如く語られていますが、自分の父親や母親の最期を見てきた彼女は、生きるために必死だったに違いありません。

残された史実が、勝者の、特に男性の視点で語られていることは残念です。

さて、私はこの運命的な出逢いを(無意識に)お膳立てし、立ち会ったわけですが、どこか別の星から、この大河ドラマをモニタリングしてたんですかね~

ワクワクしながら見てたのかもしれません。

このお話が、真実かどうか、
信じるか信じないかはあなた次第

Aさん、Bさん双方の了承を得て掲載しています(お二人に感謝です♡)

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