こんにちは!
女性性が花ひらく香りのコンサルタント
Devaユカです!
「人の為」と書いて「偽」となります。
20代の頃、考えていて気づいたことです。
人の為にしていることは、
実は自分の為にしている事-
“人の為”には、
かならず自分の欲求や期待が潜んでいます。
喜んでもらいたい、受け入れてもらいたい etc
それらの欲求や期待が自分の中にあることを
知っていてする“人の為”と、
言葉通りの“人の為”では、
全く違うエネルギーになります。
前者は、
相手に自分を投影していることを知っているので、
「させてもらっている」という意識になります。
相手が感謝してくれたら、
自分が嬉しい気持ちになる。
嬉しい気持ちにしてくれてありがとう!
逆に、受け取ってもらえなければ、
あ~、自分は嬉しい気持ちになりたくて、
この人に何かをしてあげていたんだな。
この人の為と言いつつ、
自分が満たされたかったんだな。
と諦めもつきます。
しかし後者は、
「してあげている」という、
ちょっと上から施しているような
無意識が芽生えます。
そうすると、
もし相手がそれを拒否したり、
感謝してくれなかったら、
それどころか裏切られたら、
「あなたの為にしてあげたのに!」
「なんて恩知らずなの!」
腹立たしい思いが生まれます。
そこに期待があったことの顕れです。
一方、感謝されたら、
無意識に「もっともっと感謝されたい」、
「必要とされたい」となって、
過度にお節介になったりします。
「家族の為に働いている」
家族の為ではなく、
「家族が幸せだと、自分も幸せだから!」
が真実です。
相手の顔に自分の顔を重ねてみましょう。
「してあげる」ではなく、「させてもらう」
人の為と書いて偽の深いい話でした(笑)
いいなと思ったら、
どこかで饒舌に語ってください!
この“人の為”の真意と同様にある
「自己犠牲的ボランティア精神に潜む闇」
これについてはまた今度書きます!
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